西洋でのドレミファソラシドの7音階が主役となるまでの大まかな歴史についてまとめてみました。
■現代では音階は低い音から高い音への上行型で表されるが、古代ギリシア旋法は下降型で表されていた。音は高い音から低い音に下がる動きが自然な動きであり、それに適った表記となっていた。
■中世の教会旋法のころから上行型で表されるようになる。
人間は下に向かって動くという音の自然な状態から、上に向かったり音程を飛躍させたりといろいろな工夫してメロディーを作ろうとした。
そうした意志の現れの一つとして、上行型表記となったとされる。
■西洋ではイオニア旋法がまず生き残り、長調と呼ばれる音階となった。
この音階はまったく同じ2部分の組織(全全半+全全半)でできている。
階段の真ん中手前の踊り場と最後の地点が狭くなっていて上りやすい。
音を持ち上げるのに便利で、人間がメロディーをこしらえるのにも適している。
また後に主音、下属音、属音と呼ばれる3つの地点に和音を置くと、三つとも長三和音になる。
■短調はエオリア旋法(全半全全半全全)が生き残った。
これはイオニアとまったく反対の性質を持っていたがゆえに生き残ったとされる。
組織上整然としておらず、音階の最後の地点も(全全)と広くなっている。
しかし主要三地点の和音は全部短三和音になる。
■エオリア旋法は自然短音階となる。
音階の最後の地点で上にあがる力をつけるため、7番目の音を人為的に半音高め、これが和声短音階となった。
三つの短三和音のうち一つは長三和音になり、エオリアの特質を一つ失った。
■和声短音階は音階の6番目と7番目がさらに半音分広くなり凸凹となってしまった。
これをならそうと6番目も高め上へ行く力をさらに強めた。
結果、音階(全半全・全全半)の後半は長音階と同じになり、三つの短三和音のうち二つが長三和音となった。
このような変化がおきたのは上に行く力をつけるためで、下に下がる力は自然に備わっているので、もとのエオリアのままでもよいため、旋律的短音階となった。
現在私達が知っている三つの短音階(自然、和声、旋律)の形は、下へおりようとする音の自然な性質と、それを自由に扱いたい人間との戦いのプロセスであったとも考えられる。